サポートのメールアドレス:[email protected]
「幸運な病」-糖尿病とおつきあい-
「幸運な病」とは
私は1992年(32歳)当時、「糖尿病」と診断を受けました。結婚後、治療を受けては中断することの繰り返しでした。

2015年4月、合併症での失明の危機を宣告されます。

後がない状況の中で、レーザの凝固手術もインスリンの治療も行わず、「血糖自己測定」を3500回以上繰り返し、webアプリ「BSP血糖値プロファイラー」を使い、自分自身を見つめます。
糖尿病を学び、生活が変わり、血糖値のコントロールにも成功します。
そして、2015年11月、眼底網膜症の状態はすぐに手術をしなければならない状態から脱していることを告げられます。
糖尿病は自分で生活を変えて、コントロールできる病気です。なすすべもなく、病態が悪化する病気と比べたら何と幸せでしょう。

生活を変えるのは困難です。個人の問題だといわれがちな「生活習慣病」を社会の問題であり全ての人々の問題と捉えます。
そして、今とは違った生き方を提案します。

カードで始めた血糖値の記録
2015年4月末から血糖値の測定を記録し始めます。一日一枚で記録をはじめ、枚数が100枚を超えた頃からwebアプリに移行しました。どこからでもアクセスできるようなりましたが、細かい状況やその時の気持ちを書き込めるという点では、カードにはかないません。
世界で最も長生きしている『I型糖尿病患者:バーンスタイン博士』は「全ての人は違いすぎるために誰にでも効果のある処方箋などはない」と洞察しました。

「糖尿病の主治医は患者」と言われますが、それは、「医師の指示を忠実に守る」ということではありません。 自分自身の処方箋は、自分自身の中にしかありません。
血糖自己測定を繰り返すことで「自分自身の処方箋」見つけた私は「幸運」です。


博士の本(体験)に出会わなかったら、僕は「生活を変える」という困難と向き合えなかったでしょう。

カードには思ったことを書き込んで、自分の生活を見直します。
毎日の生活は、時に逸脱し後悔します。
しかし、自分自身の問題として向き合うことで、「恐怖」から自由になれるのです。

血糖値記録ソフト「BSP」について
カードの枚数が増えてくると、今度は、プログラムを作って管理できないかと考え始めました。
2015年半ばからwebアプリを作り始めました。血糖値の記録と分析を行うためのものでした。
様々なデバイスで、同じデータをみることが出来ます。
2015年10月、私は毎年の1週間の出張で和歌山にいました。どうしても食べるものがなく、カレーを食べて血糖値が300mg/dlになります。私が和歌山で入力した数字を家(新潟)で妻もみていました。夜、妻は電話で気遣って言葉をかけてくれました。嬉しかったです。
友人に血糖値のSNSだねと言われます。

ネットには多くの類似のシステムはあります。医師が患者を採点するための物がほとんどです。 私は、「共に生きて、気遣い励まし合うことの出来るシステム」を目指しています。

2015年のブログ
2015年はまさに試行錯誤と発見の一年でした。
毎日の生活の中で血糖値の測定を繰り返すことで、食事が変わり、毎日の生活が変わってきました。
1995年のweb

30代のはじめ、私は糖尿病と診断されます。
その頃、インターネットが一般利用され始めて、私もページを作りました。
その当時の考え方がここでは展開されています。